信頼の証明  2






 林を抜け街道に戻ると、そこには既に戦いを終えたリナとガウリイが待っていた。
 アメリアが声をかけるよりも早く、リナは彼らに気付き、いきなり指をさして大爆笑した。そのことに彼らは揃ってムッとしたのだが、リナにしてみれば笑ってしまうのも無理はない。彼らの白かったマントは土と苔に汚れ、特にアメリアは頭からつま先まで、全身ひどい有様だったのだ。それに比べ、リナとガウリイに明確な戦闘の痕跡は見当たらない。
 そのことも手伝って、ゼルガディスは非常に不機嫌だった。
 アメリアも腰に手を当てリナに抗議したが、リナが笑いながらも髪に絡まった雑草を払ってやると顔は一変、にこにこしながら一緒に自身の汚れを払い始めた。
「……にしてもアメリア、あんた汚れすぎよ。髪の毛にまで草が絡まってるじゃない。どーせまた、あの長ったらしい名乗り上げてたんでしょ」
「何を言うのっ! 正義のヒーローにはそれにふさわしい口上が必要なのよ!」
「んじゃ、そのあと毎回毎回落っこちるのも必要なのかしら〜?」
「うっ、それはその、勢いってやつよ!!」
「ふーん。目、泳いでるわよ」
「ううっ」
 たわいもない女同士の会話は途切れることなく紡がれる。変わり身の早い共闘者を横目で見ながら、ゼルガディスは一人自身の埃を振り払った。途中、寄って来たガウリイに「手伝ってやろうか」との申し出を頂いたのだが、それは丁重に辞退した。

「……これ以上は洗濯しなきゃ落ちないわね。アメリア、あんたは宿に着いたらお風呂に直行よ」
「そうね。わたしも早くお風呂に入ってすっきりしたいわ」
「んじゃ、早速出発するかー!」
「ってそっちは逆方向じゃーーっ!!」
 いつものごとく、どこからともなく現れたスリッパがガウリイの頭部に炸裂する。そして始まる夫婦漫才。二人で顔を突き合わせ、ああだこうだと言い合いながら歩き出す。
 そんな様子を後ろから眺め、アメリアは楽しそうに肩を震わせた。
「さ、わたしたちも行きましょーか!」
 少し離れたところに立っていた男に振り返り、満面の笑みで声をかける。彼女にこうした笑みを投げかけられるのは初めてではないが、ゼルガディスはどうも慣れない。含みのない無邪気な好意というものにはこれまでとんと縁が無く、微妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。だが、断る理由も見つからない。とりあえず歩き出すと、彼女は当然のように彼の隣についた。
「……仲間って、いいですよね」
 独り言ともとれる言葉を彼女がそっと呟いた。果たして返事は必要なのか、不要なのか。ゼルガディスが判断しかねているうちに、彼女は続けて話し出した。
「今日は本当に、ありがとう! 助けてくれて嬉しかったです!」
 彼女は心底嬉しそうに言う。やはり、それがどうにも気恥ずかしくて、ゼルガディスは視線を外して答える。
「別に礼を言われるようなことはしていない」
「何言ってるんですか! わたしのこと、助けてくれたじゃないですか」
「それはあんたが倒れたら、回復役がいなくなるからだ」
「じゃあ、わたしが白魔法使えなかったら、助けてくれなかったんですか?」
「……そうかもな」
 ゼルガディスは目を逸らしたまま、そう言った。
 実際のところ、彼はそこまで冷血漢ではない。敵に容赦はしないが、それ以外の者にまで被害が及ぶのは彼の望むところではない。ましてやそれが女子供ならば尚更のこと。だが、彼の性分からして、それを自分で口に出すことはどうにもはばかられた。過去の自分の行った所業をかんがみれば、それも当然ともいえるかもしれない。彼は過去の己を後悔してはいないが、激しく嫌悪していたのだから。
 アメリアは顔を逸らしたゼルガディスをしげしげと眺めていたが、やがていつもの気楽な調子でこう言った。
「それじゃあ今日は、おあいこですね! 確かに治癒はわたしがしましたし。でもこっちはちゃんと聞いてもらいますよ。ゼルガディスさん、今日は本当に、ごめんなさい」
 何のことかとゼルガディスが振り返ると、アメリアはぴょこりと頭を下げた。そして、少しばつが悪そうな顔で口を開く。
「最初、わたしのことフォローしようとしてくれたでしょ? それはすっごく嬉しかったんだけど、この程度の相手ならわたし一人でも十分だって思っちゃったの。わたしだって中々やるなってとこ、見せたかったんだわ。それで突っ走っちゃて…………ごめんなさい。仲間なら助け合って当然なのにね」
 アメリアはそこで一息つき、もう一度頭を下げた。
「だからゼルガディスさん、ごめんなさい。わたし、あなたのことちゃんと信頼できてなかったんです」
 ゼルガディスは何も答えなかった。いや、まるで何かが喉が詰まってしまったようで、答えられなかった。
「…………ゼルガディスさん、怒ってます?」
 恐る恐るといった感じでアメリアが問いかける。それを見てやっと、ゼルガディスは呼吸を取り戻すことができた。一つ息をはき、問いかけの答えを口にする。
「別に怒ってはいない。というより、そう簡単に人を信用するな。リナや旦那ならともかく、俺みたいな人間は特にな」
 ゼルガディスはそう吐き捨てた。それを聞いて、アメリアは目を丸くして問い返す。
「どうして!?」
「言っただろう。回復役がいなくなると困るから、あんたを助けたんだ。この旅に同行しているのも、この体を元に戻すためだ。俺は自分のために動いている。変な期待をされては困る」
「……本当に信用できないような人は、そんなこと言わないと思うんだけど」
「忠告だ。ほいほい人を信用していると、いつか痛い目に会うぞ」
「それって、ゼルガディスさんが昔、痛い目に会ったってことですか?」
「!!」
 ゼルガディスは目を剥いてアメリアを見下ろした。それはほとんど睨むような目付きだった。しかし彼女は動じず、射抜くような視線を静かに受け止めていた。
 何か言い返してやりたいのに、言葉が出なかった。じっとこちらを見詰めているアメリアの瞳は、凪の海のように落ち着いている。その目を見ていると、頭の中に噴き出したあらん限りの罵倒の言葉が力を無くし、沈んでいくようだった。血の上った頭は熱いのに、静かな瞳に気圧されて、熱はその行き場をなくしていた。
 だが突然、アメリアはふっと微笑んだ。
「だいじょうぶですよ。わたしのカンはよく当たるから」
 そして前を向き、歩き出す。
「ゼルガディスさんなら、だいじょうぶです。きっと痛い目には会いません」
「……さっきの戦闘で、十分痛い目を見たと思うんだがな」
「あれはわたしがゼルガディスさんのことを、ちゃんと信頼できていなかったからです。今度はきっと、だいじょうぶ」
「そういう根拠の無い自信を持ってる奴ほど、痛い目を見る」
「だから、わたしのカンはよく当たるって言ってるじゃないですかー」
 雑談のまぎれて話題の焦点がぼやけていくことに、ゼルガディスは安堵した。こんな少女と『信頼』なんて不確かなものについて議論するのは、まっぴら御免だった。ましてや、自分の過去についてなど。
 だが、その少し気の抜けたところに、彼女は思いもよらない言葉をいとも気楽に投げかける。
「それじゃあ、わたしが証明してあげます。ゼルガディスさんに、治癒魔法を教えてあげますから」
「はっ?」
 ゼルガディスの口から、間の抜けた声が飛び出した。
「治癒魔法を使えるようになったら、もう回復役はいらないでしょ? そうしたら、わたしを助ける理由もなくなりますよね? でも、きっと、ゼルガディスさんは助けてくれると思うわ」

 この女は一体どういう精神構造をしているのか。
 口を開けたまま絶句してしまったゼルガディスなど気にも留めず、アメリアはさらに楽しげに言い募る。
「カンだけど、わたしのカンはよく当たるから。そうね。なんなら今夜の夕食、賭けてもいいわ」
 笑いながら、今日聞いた仲間の言葉を繰り返す。その様子にゼルガディスはすっかり毒気を抜かれてしまった。
 ある部分においては自分と似た思考回路をしているリナも、男同士という共通項を持つガウリイも、彼の理解の範疇からは大きく飛び出した人物である。だが、それ以上に、この娘がわからない。まるで、未知なる新種生物を相手にしているかのようだ。
 だが、それでも、きっと───。

「そうか、さすがはセイルーンの姫君だ。あのリナとガウリイの分まで奢ってやるとはな」
「えっ!! お、奢ると言ったのはゼルガディスさんだけで、リナとガウリイさんは……」
「おや、奢ってやらないのか? 仲間なのに?」
「そ、そそそれとこれとは……」
「正義の使者が、仲間外れ、か……」
「そっそんなことないわ!! でも、あの、その……」
 そんな軽口を叩きながら、ゼルガディスは歩いていった。腕を組み、難しそうに唸っているアメリアを横目で見下ろし、彼は思う。
 それでも、きっと、自分はこの少女を助けるだろう。
 どこを探してもその理由は見つからなかったが、その思いは確信にも近い。乗った憶えもない賭けは、やる前から彼の負けだった。それが少し悔しい気もし、彼は彼女に言ってやる。
「せっかくの機会だから、リナに注進してこよう。きっと目玉が飛び出るような高級レストランを探してくるだろうからな」
「だっ、駄目ですよっ!! それに、わかってるんですから! ゼルガディスさんは、絶対、わたしのこと助けてくれるんですからーっ!!!」
 高い空に、アメリアの涙混じりの叫びが響いた。前を歩く二人が振り返り、何事かと興味津々の目で問いかける。
 やりすぎたか。そう思い顔をしかめるも、後の祭り。隣のアメリアは何やら必死に抗議している。前方のリナとガウリイはにやつきながら、彼らの到着を今か今かと待ち構えている。
 そうだ。始めから勝負になどなりゃしない。こんな、おかしな奴らが相手では。
 爽やかな敗北感とともに、彼は白旗を揚げた。

 既に結果の見えた賭け。それが実行されるのは、もう少し先。その頃の彼らには、こんな賭けのことなど思い出す余裕はまったく無かったのだが、それはさておき、賭けの勝敗は言うまでもなく。







あとがき





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