信頼の証明  1





 状況はガウリイにとって圧倒的に不利だった。
 しかしそれでも諦めきれないのか、彼はかなりしつこく喰らいついている。しかし、事態は依然として好転せず。ゼルガディスも同じ男のよしみで応援してみたものの、暇つぶしがてらのおざなりな応援では効果もあろうはずがない。
 そもそも無理な話なのだ。女の子同士の会話とやらに、男が割って入ろうなどとは。

 彼らの後ろをを歩いているゼルガディスから見て、左からアメリア、リナ、ガウリイという順番で彼らは並んでいる。肩を並べ、楽しげに談笑している女二人に比べ、ガウリイは後ろから首を突っ込むようなかたちで、必死に話に入ろうとしている。が、やはり彼には分が悪い。今日、何度目かのスリッパの打撃がその頭に振り落とされた。だがそれでもなおリナの隣から離れようとはしないガウリイを、ゼルガディスはある意味、感嘆の眼差しで後ろから眺めていた。
 ここは大きな森に挟まれた、細い旧街道。
 「表街道より盗賊は出やすいに決まってる!」とのリナの主張からこのルートに決定されたわけが、本人の意にはそぐわず、盗賊どころか人影すらも見当たらない実にのどかな旅路となった。
 ゼルガディスにとっては申し分ない旅である。盗賊どもとのくだらないやり取りも、正義を謳う口上も聞こえてこない。そしてなにより、この姿を隠す必要がない。
 空もよく晴れ、森を抜けてそよぐ風は彼の肌にも心地好かった。しかし、こんな平和な時は長くは続かない。この面子と旅をする以上、やっかいごとはいつだってお構い無しにやって来る。
 彼ら4人の足が、同時に止まる。それに一瞬遅れて、街道沿いの林から鳥たちが一斉に羽ばたいた。喧しい羽音の隙間を縫うように、低い唸り声が辺りに響く。
「あーらら、こりゃまた結構な団体さんね。アメリア、言っとくけど今度は名乗りを上げてる暇はないからね」
「わかってるわ。もう。正義の名乗りすら上げさせてくれないなんて、本っ当に悪よね!」
「うーん、親玉は無し。ざっと、30とちょっと……右に17、左に18、だな。今日の晩飯、賭けてもいいぜ」
「旦那に10以上の数が数えられたのか。そっちのほうが、俺にとっては驚きだな」
「うん、あたしも」
「わたしも、同じく」
「おまえら、オレを何だと思って……って、来るぞ!!」
 その言葉に相違無く、道の両側から彼らに向かって、炎の矢が雨のように降ってくる。同時にアメリアが呪文を解き放つ。炎の雨は彼らにたどり着く前にことごとく弾かれ、その熱すら届かない。アメリアの口の端が僅かに上がる。巫女頭の本領発揮といったところか。
 彼らはいつの間にか、ゼルガディスとアメリア、ガウリイとリナの組に別れ、互いに背を向け合っていた。ゼルガディスらが対峙するのは、右側、17のほうだ。ゼルガディスは右手の剣に魔力を込め、新たな術を唱えながらタイミングを計った。そして炎の矢が途切れた瞬間、彼は、いや、彼らは駆け出していた。



 アメリアは躊躇無く、レッサーデーモンの群れに飛び込んでいった。その行為に少々慌てながらも、ゼルガディスは彼女の隣に立ち、術を解き放つ。
「エルメキア・ランス」
 それを受け、横手からアメリアに襲い掛かろうとしてたのが、1匹倒れる。
 彼女がかなりの体術の使い手だということは既に見知っているが、一応女だ。そう苦になる数でもない。彼女のフォローを中心に戦闘を組み立てるべきか。
 ゼルガディスはそう考えていた。しかし、どうやらその必要は無かったらしい。
「ヴィスファランク! その身に受けよ、正義の鉄槌っ!!」
 高らかな彼女の声とともに、両の拳に光が宿り、そのまま彼女は正面の1匹を殴り飛ばした。あまりに非常識な攻撃方法に、ゼルガディスは思わず目を剥いた。が、それも一瞬のこと。向かい来る炎の矢を避け、再び剣を振るう。
 その戦いぶりを見るに、彼女への気遣いは不要だろう。ゼルガディスはそう判断し、地を蹴った。
 効率良く敵を片付けるため、彼らはそれぞれ別の標的へと向かって行った。

 また1匹、ゼルガディスの剣を受けレッサーデーモンが倒れる。散発的に飛んでくる炎の矢をかわしながら、周囲の状況を確認する。敵の数は既に当初の半分以下になっていた。
 彼はこのとき、余裕さえも感じていた。
 そしてそれはアメリアも同じだったのだろう。彼女は少し離れた場所で戦っており、ゼルガディスの位置からその表情を見ることはできなかったが、代わりに軽快な動きからそれを見て取ることができた。ゼルガディスがそのことに軽い安堵と共に息を吐いた、ちょうどその時だった。彼女が新たな標的に向かい、一歩踏み出したところでバランスを崩し、大きくよろめいた。
「アメリアっ!」
 彼女に駆け寄ろうとし、それを邪魔するように放たれた炎の矢に足止めをくらう。
 彼女はおそらく、木の根にでも生えた苔に足を滑らせたのだろう。苔と雑草に覆われた林の地面は柔らかいが、木の根のような固いものの上に生えた苔はひどく滑りやすい。彼女の動きは、先程までとは明らかに違っていた。足首を捻ったのか、片足のみに重心をかける不安定な体勢をとっている。
 それでも彼女は向かい来る炎の矢を、魔力を込めた手のひらで叩き落とす。だがその背後に大きな鉤爪を生やした手を振りかぶり、今まさに彼女に襲い掛からんとする者がいた。
 詠唱中の呪文は間に合わない。ゼルガディスは魔力を込めたブロードソードを、そいつ目掛けて投げつけた。投擲用の短剣は懐にある。だが、魔力も込めていない短剣では、レッサーデーモンには牽制にすらならない。彼女の後ろにいた一匹が、彼の剣に貫かれ絶命する。
「ゴズ・ヴ・ロー!」
 さらにようやく唱え終えた呪文で、彼女に炎の矢を浴びせていたもう1匹が倒れ伏す。これでアメリアはずいぶん楽になったはずだ。
 だがその分、ゼルガディスにとっての状況は悪化したと言わざるを得ない。
 呪文はたった今放ったばかりで、獲物はただの短剣のみ。彼女への援護に気をとられている内に、3匹のレッサーデーモンが囲むようにその距離を詰めていた。そして一斉に炎の矢を放つ。
 呪文を紡ぎながら、必死にそれらから身をかわす。が、避けきれない。ぎっと歯をかみ締め、小さな舌打ちを一つ。彼は彼女のように手でそれを振り払った。ただしこちらは岩の肌。魔力は当然、こもっていない。
 熱さよりも先に重い痛みが手に走る。術への集中が解ける。だが目の前に、新たな炎の矢が迫って来る。
 ゼルガディスは半ばやけくそで走り、炎の矢をもう一つ、鈍痛の残る手のひらで振り払う。この囲みを突破しなければ、彼に勝機は無い。焼け付く手の痛みに呪文も唱えられず、短剣一本でレッサーデーモンに向かって行く。相対したそいつが太い腕を振り上げる。その顔がにやりと笑みを刻んだように見えた、その時。
「ガーヴ・フレア!!」
 アメリアの高い声が響き、そいつと、その延長線上にいたもう1匹が灰になる。さらに彼女は痛めたはずの足で走リ出す。治癒をしている余裕はなかったはずだ。しかしそのまま彼女は走り、片足で踏み切って3匹目に飛び掛った。
 体重をかけたその一撃で、レッサーデーモンは地面に叩きつけられる。だが彼女も無事ではない。着地と同時に倒れこみ、足を押さえ起き上がれないでいる。最後に残った2匹のレッサーデーモンが彼女に向き直り、炎の矢を生み出す準備動作を始めた。
 間に合わないかもしれない。
 だがゼルガディスは駆け出していた。呪文を紡ぎながら彼女の元へ向かう。彼がそこに辿り着いたのと、2匹のレッサーデーモンが炎の矢を生み出したのは、ほぼ同時だった。呪文はまだ完成していない。彼女を抱え、迫り来る炎から身をかわすのは、無理だろう。彼は彼女の体に覆いかぶさった。試したことはさすがに無いが、この体ならばたとえ炎の雨を浴びたとて、死にはしない。しかしそれは、間に合わなかったときの話だ。舌打ちして悪態をつきたいのを堪え、ひたすらに呪文を紡ぐ。もがくように体を捩る彼女を押さえつけ、炎の矢がゼルガディスの目前まで迫ったとき、彼の呪文が完成した。
「大地よ、我が意に従え! ダグ・ハウトっ!!!」
 せり出した大地に遮られ、炎の矢が視界から消える。土煙の舞う空に、2匹のレッサーデーモンの絶叫がこだました。



「ゼルガディスさん、重いです!」
 安堵で力の抜けたゼルガディスの下から、悲鳴に近い声がした。慌てて身を起こすと、真っ赤な顔でこちらを睨み付けているアメリアがいた。彼女は全身、土と潰れた雑草にまみれ、見るも無残な有様だった。
「す、すまん」
 その状態のあまりのひどさに、土を払ってやろうと手を伸ばすと、彼女はぱっと目を見開き、勢いよく身を起こした。
「そっそんなことより、ゼルガディスさん! 手は無事なのっ!?」
 そう言いゼルガディスの手を取ると、聞きなれぬカオス・ワーズを唱えだした。
 彼は手のことなどすっかり忘れていた。改めて見てみると、手袋はとうに焼け落ちており、いつもより黒味を帯びた岩の肌がむき出しになっている。黒く焼けたその部分には、不自然な凹凸が出来ていた。
 それを意識したためか、忘れていた鈍い痛みが再び蘇ってくる。だが正直、彼は自分でもこれがどれほどの怪我なのか、判断できなかった。
「……その大いなる慈悲にて救い給え。リザレクション!」
 彼女の手にほのかな光が灯り、ゼルガディスの手から、鈍い熱が引いていく。肌の色も、こころもち元に戻ったようだった。だが彼女はゼルガディスの手を離そうとせず、彼がもういいと言うまで術を止めなかった。
「本当ですか? ほんっとお〜〜にもう、だいじょうぶなんですか?」
「ああ。もう痛みもないし、平気だ。それより、あんたの足の方はだいじょうぶなのか?」
「あ、そういえば……痛いですね」
「馬鹿! 捻った足で暴れるからだ! さっさと治療しろ」
 ゼルガディスが怒鳴ると、彼女は身を縮め、慌ててもぞもぞとブーツを脱ぎ始めた。捻った足首が痛むのだろう。ゆっくりとブーツから引き抜かれた彼女の足の、そのくるぶし辺りは大きく腫れ上がり、なんとも形容しがたい色に変色していた。
「うっわ、グロテスクぅ」
 この期に及んでも彼女の声は呑気だった。じろりと睨み付けてやると唇を尖らせて抗議してきたが、やがて彼女もおとなしく自身の治療を始めた。
 歌うように流れる声を聞きながら、ゼルガディスはゆっくりと辺りを見渡した。
 辺りは一面、すっかり惨憺たる風景へと変貌していた。あちらこちらに隆起した土の錐が立ち並び、それによって折れた、あるいは倒れた木を数えるには、両の指ではとても足りない。例によっての盗賊いぢめでドラグ・スレイブを放ち、地形を変えたリナに向かって、安眠妨害のお礼も込めて嫌味を言ったのはつい2日前のことだ。これを見られたら、嫌味の3倍返しは覚悟しなければならないだろう。
 ひっそりとため息をついた彼の耳に、のんびりとした声が入りこむ。
「それにしても派手にやっちゃいましたねー。リナに見られたら、きっとチクチクいじめられちゃいますよ」
 いつの間にか治療を終えたアメリアがゼルガディスの隣に立ち、人の心を見透かしたような台詞を吐いていた。
「誰のせいだと思ってる」
「あはは、わたしのせいですよね。……本当にごめんなさい」
 むっとして吐き捨てた言葉に、意外にもしおらしい返事が返ってきた。少し驚いて目を落とすと、彼女はいつもと違い、妙に真剣な眼差しでゼルガディスを見詰めていた。
「わたし、自分の力を過信して油断していました。そのせいでゼルガディスさんをあんな目にあわせてしまって、ごめんなさい」
「…………油断していたのは俺も同じだ。別にあんたのせいじゃない」
 真っ直ぐな目がどこか居心地悪く、彼は彼女から視線を外して呟いた。その言葉は嘘ではない。そもそも最初に決めたように、連携して戦うことを選択していれば、こんなことにはならなかった。だが彼らは逆の選択をし、その結果少々手こずることとなった。それだけのことだ。
 ふいにガウリイの顔が頭に浮かんだ。あの男ならばきっと、こんな失態は招かなかったに違いない。
「……ゼルガディスさん、ちょっとゼルガディスさん! 聞いてるのっ!?」
 不意にマントを引っ張られ、ゼルガディスはつんのめりながら、とりとめも無い思考の海から浮上した。目をやると、そこにはむくれた顔で、彼のマントを握り締めるアメリアがいた。
「もう、その顔はわたしの話、聞いて無かったって顔ですよね! すっごく、失礼ですよ!」
 普段から高い彼女の声が、さらにいっそうとんがっている。彼女はかなりおかんむりのようだが、彼とてそんなことに気を払う人間ではない。
「……いいからさっさと手を離せ」
「あ、ひどい! ゼルガディスさんがちゃんと、わたしの話を聞いてくれたらすぐ離してあげますよぅ」
「だったらさっさと言ってくれ」
 ゼルガディスがぞんざいに答えると、彼女はうっと声を詰まらせた。そしていったん目を閉じ深呼吸すると顔を上げ、しっかりと彼の目を見据え口を開いた。
「本当に、ごめんなさい。それからとっても、ありがとう」
 彼女はちょっと怒ったような、困ったような、不思議な顔をしていた。少し赤らんだ頬と、少し潤んだ目。
 ゼルガディスが瞬きをし、もう一度それを確認しようとしたときにはもう、彼女はマントから手を離し駆け出していた。
「さっ、早く行きましょ! 遅れたらリナに怒られちゃう!」
 ひらひらと揺れる彼女の背中から聞こえてくる声は、いつもの彼女の声だった。いつだって弾むように響く高い声。さっぱりわからない。ゼルガディスは首を振り、彼女の後に続いた。
 まったく、だからあんたはすぐにこけるんだ。
 ぴょこぴょこと跳ねるように走る小さな背中を眺め、ゼルガディスは心の中でそうぼやいた。






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