Battle On The Bed





 目の前に広がるのは、大きな大きな、果てしなく大きなベッド。横に寝たってはみ出さない、キングスサイズだ。マットのスプリングは硬すぎず、柔らかすぎず。ぴんと張ったシーツの上に寝転べば、心地よい弾力が体を包むことだろう。
 そんなことはわかっている。
 自分が毎日、妻と寝ているベッドなのだから。

 その可愛い妻は今、ベッドの上から枕など余計なものを排除すべく、せっせとお運びに精を出している。彼女が歩くにつれてひらひらとした夜着の裾が揺れ、白いくるぶしが見え隠れする。できればそいつをこの手で掴み、ベッドの中へと引きずり込んでやりたいところだが、今日ばかりはそうもいかない。

「うふふっ、ゼルガディスさんとできるなんて楽しみです。 わたし頑張りますから、ゼルガディスさんもばっちり楽しんでくださいね!」
 時は夜、場所は寝室、可愛い妻にそう言われたら、男だったら黙っちゃいない。
 だが、違うのだ。
 世間一般で思われるような、そんな楽しげなコトではないのだ。

「さあ、これで準備は万端ですね!」
 いつの間にやらベッドの上には何もなく、自分の横にはそれを満足そうに見詰める妻がいた。彼女はぐるぐる腕を回し、準備万端、気合十分。どこからなりともかかって来いや状態である。
 俺はそれを、沈痛な面持ちで眺めていた。

「なあ、アメリア。本当にやるのか……?」
「もちろんですっ! 今更待ったは聞きませんよ。 ではさっそく……って、このかっこじゃ雰囲気出ませんよねえ」
 彼女はそう言い、己の姿に目をやった。
 別におかしな格好はしていない。いつもの、上質なシルクを素材としたネグリジェである。白の生地に、要所要所に縫いこまれた花をモチーフとしたレースは淡いブルー。それは彼女にとてもよく似合っていた。
「わたし、着替えてきますね。 あっ、そんな顔しないで下さい。 ゼルガディスさんもその気になっちゃうような、すっごいの着てきますから!」
 彼女は笑顔でそう言うと、隣室に向かい駆け出した。その後姿がドアの向こうに消えるのを見届け、俺はため息をついた。

 何だってこんなことになっちまったんだ。
 俺は手で顔を覆い、ついそのまましゃがみ込んでしまった。
 原因はわかっているのだ。それはやはり自分のせいであるし、理由を聞いて、確かにそれならと頷きもした。しかし、だからと言ってこれはやはり──。
「お待たせしましたー!!」
 思考を突き破る唐突な声に振り返ると、やたらと重厚なでかい扉を開け放ち、彼女は仁王立ちで、そこにいた。
 足下の地面がぐらりと揺れた。もしくは、俺の三半規管がちょっと狂った。
 彼女は実に、奇天烈な扮装で現れた。 

 そのコスチュームのベースカラーは白だった。それはいい。彼女が最もよく身に着け、最もよく似合う色だ。だが、できればそんな衣装は似合ってほしくはなかった。
 上下ツーピースと肘当て、膝当てに分かれたそれは、伸縮性のある素材なのだろう。彼女の見事なボディラインをそのまま写している。どんな意味があるんだか知らないが、要所要所には同色のフリンジが付いている。そしてこれまた、必要性を全く感じさせない細いベルトが、いたるところに巻かれている。足にはやはり白の、柔らかそうなショートブーツを履いていた。

 頼むから似合うな。
 だが悲しいかな、その言葉を口に出せるほどの勇気は、俺には無かった。
「さあさあゼルガディスさん! そんなところに座ってちゃダメですよ。 立って! さあ、今こそ立ち上がるのです!!」
 お前がその衣装さえ脱いでくれれば、身も心もバッチリ立ち上がれるんだがな。
 それでも俺は、なんとかよろよろと身を起こした。彼女はそんな俺を見て、両手を広げ、嬉しそうに駆け寄ってきた。
 俺はてっきり、いつものように抱きついてくるものだと思った。だから体から余計な力を抜き、体重をやや前方にかけ、彼女を受け止めるべく両手を開いたのだ。口許には笑みさえ浮かべていたように思う。

 しかし、そうではなかった。
 彼女の中では、ゴングは既に高らかと打ち鳴らされていた。

「妻から夫へ! 夜の始まり、ジャンピング・ラリアットーー!!」

 たわけた台詞と共に、彼女の腕が俺の首に、真正面から叩き付けられた。油断していた俺はもちろん、ノーガードだった。喉が詰まる。衝撃を受けた首が後方へ押され、その反動で頭は前のめりになる。口を開いてなくて良かった。開いていたらきっと、舌を噛んでいただろうから。
 俺と彼女はそのまま後ろにあったベッドに倒れこんだ。息もできず、言葉も出せず。俺が目で問いかけると、彼女は笑みで答えた。それは実に暗示的な、悪魔の微笑だった。



 今となっては、もうどうでもいいことかもしれないが、事のあらましを一応説明しておこう。

 そもそもの原因は昨晩の行為である。
 もちろん、今夜のような野蛮かつエキセントリックな行為ではなく、夫婦として非常にまっとうで全くノーマルな行為である。うむ。あのくらいなら全然ノーマルだ。俺の中ではノーマルだ。
 だが、彼女は翌朝、何故かすごく怒っていた。昨夜の行為がお気に召さなかったらしいのだ。
 昨夜はあんなに喜んでたくせに今更どうしたんだと尋ねたら、いきなりアッパーをくらった。寝起きの頭に彼女のアッパーは、殺人的破壊力だった。お花畑と長い川が見えた。さらにその向こう岸になんか赤いモノが見えたので、全力で目を逸らした。引きずり込まれなくて本当によかった。
 改めて生命の尊さを実感した俺は、何度も彼女に謝った。真摯に謝った。その様子を見た馬鹿貴族が、喜び勇んで彼女に離婚を薦め出すくらい謝った。
 ああ無論、その馬鹿はその場で彼女に張り倒された。俺もその場で奴の管轄内の、隠蔽工作の跡さえばればれな使途不明金について、ネチネチと突付いてやった。大人気ない行為ではあったが、非常に楽しかった。明日もやる。

 とにかく、俺の誠意あふれる態度に心動かされた彼女は、条件付きで許すと言ってきた。
 提示された条件は、今夜一晩、技の練習台になることだった。

 話を聞くところによると、彼女は昔から体術を習っており、その腕前は俺もよく知るところなのだが、ただ、練習相手の数が絶対的に少ないのだそうだ。
 それはそうだ。彼女はこれでも、この国の王女なのだ。
 とうに枯れた老師範ならともかく、若い男と組み合うなど、とんでもない。だから実践は別として、練習ではごく僅かの決まった相手としか組み手ができず、彼女は困っていたそうだ。この非常識極まりない王宮に輿入れ(と男でも言うのだろうか? 確かに、フィルさんの担ぐ御輿に無理やり乗せられたのだが。抹消すべき過去の汚点の一つだ。)して以来、彼らの破天荒っぷりに振り回されてばかりだが、そのへんの意識はまともだったらしい。

 俺はその条件を快諾した。そう、今更言っても仕方ないが、承知してしまったのだ。
 だが仕方ないだろう? 俺にだって自負がある。ずっとこの身一つで世界を旅してきた、戦士としての自負が。
 たとえ妻といえども、こんな申し出をされて、尻尾を巻いて逃げ出すなんてできるわけがない。つーか、こんなくだらないことで夫婦別寝室なんて冗談じゃない!
 彼女の時に柔軟、時に剛直な卓越した体術はよく知っているが、あっさりやられるつもりはさらさら無かった。無論、剣が無いというのは、俺にとっては致命的に不利な条件だ。しかし、男として、夫として、ここで負けるわけにはいかない。いかない筈だったのだが……。

 ジャンピング・ラリアットで幕を開けた俺たちの夜は、その不吉な始まり方と同様に、ろくでもない方向へと転がり続けていた。



 今宵のアメリアの責めは、苛烈の一言に尽きた。
 至極情けないことではあるが、俺は彼女のなすがままだった。だが、言い訳と承知の上で言わせてもらおう。

 無理。すっごく無理。

 先手必勝とはよく言ったもので、まさしく最初の時点で、俺たちの勝敗は決定していた。
 あのジャンピング・ラリアット自体のダメージはさほどでもなかった。それよりも、不意打ちによる驚きのほうが致命的だった。

 まだ事態を理解していない俺の首に、細い腕が巻きつき、気が付いたときにはもうドラゴン・スリーパーで締め上げられていた。これは相手の頚動脈を圧迫し、それによる失神を目的とした技である。極悪である。間違っても夜、健全な男女がベッドの上で、たとえ戯れにであっても、掛け合うような技ではない。
 ちなみにそのときの口上は、「深き眠りへの誘い、魅惑のドラゴン・スリーパー」だった。確かに、絡みつく彼女の体は魅惑的だった。酸欠の頭で、何故だか妙に納得しながら、じわじわと俺の意識は霧散していった。
 視界がゆっくりと白濁し、それから色鮮やかなお花畑が広がっていったのを憶えている。真ん中には川が流れていた。そしてその向こう岸にやっぱりいた赤いのと目が合ってしまい、やばいと思った瞬間、唐突に現実に引き戻されたのだ。だが、収束する視界の端で、奴がくやしそうに舌打ちするのを俺は見逃してはいない。おいじじい、それはどういう意味だ!!
 気が付くと、俺は大口を開けて必死に空気をむさぼっていた。喉に空気が流れ込み、次第に手足の感覚が戻ってくる。それから数拍おいて、彼女の顔が曇ったガラス窓を拭くように、徐々に鮮明な像を結ぶ。
 彼女は優しく俺の額を撫でていた。そして俺が彼女を知覚したことに気付くと、微笑みながらこう言った。
「ゼルガディスさん、夜はこ・れ・か・ら、ですよ」

 そのとき俺が感じた恐怖は、結婚式の朝、眠れなかったのであろう真っ赤に充血した目で感極まって涙と鼻水を盛大に流しながら突進してくるフィルさんを目の当たりにしたときと、同じであったと言っておこう。



 技をかけられ、失神寸前にそれを解かれる。
 これがもう何度繰り返されたことだろうか。

 俺は今、うつ伏せで背を反らし、必死にもがいている。
 妻はその俺の上に馬乗りになり、嬉々としてキャメル・クラッチを決めている。
 枕詞は何だったか……。そうそう、「顔を上げ胸を張れ、人体矯正キャメル・クラッチ」だと。無茶言うな。これは「胸を張る」じゃない。「強制的に胸を反り返らせられて、マジでイカれる5秒前」だ。イカれるのは俺の脊髄だ。

 どれだけもがこうとも、これまでと同様、技が外れることは無い。それでも俺は抵抗した。男としての、最後のプライドでもって。しかし彼女は揺らがない。ああ、ちくしょう。腰の上に乗ってる尻は、こんなに柔らかいのに! 
 大体なんだ、この技は。背骨にもろにダメージを与えるこの技は、当然それに付随する首と腰をも容赦なく痛めつける。腰だぞ、腰。アメリア、お前だって困るだろう! それともこれが狙いなのか? そんなに昨夜のアレが気に食わなかったのか?
 そういえば先程の「蛇のごとく絡みつけ、密着、愛のコブラ・ツイスト」も、腰への負担が大の嫌な技だった。だが、それを補って余りあるほど、あの技は密着度が高かった。
 その名に恥じず、全身にしっかりと彼女の体が絡みついていた。あれはあれでなかなか良かった。いや、痛かったがその部分だけは良かったという意味で、痛いのが良かったという意味では決してない。本当に、断じて、そんなことは微塵も思っちゃいない。う、嘘じゃないぞ。

 とにかく、それに比べてこのキャメル・クラッチは、なんだ。密着しているのはあごにかかった両手と尻だけ! ガッテム!! 冗談じゃない!
 俺はこの憤りを力に変え、せめてもの抗議として彼女に抵抗している。だが、どうやらそれももう、限界が近いようだ。
 呼吸器、循環器系を抑えられてはいないため、意識はしっかりしているものの、絶え間なく襲い来る鈍痛に、戦意はどんどんすり減らされてゆく。延々と痛めつけられた各関節は、悲鳴を上げて、この戒めからの開放を訴えている。
 客観的に見ても、俺は良くがんばったと思う。アメリアの猛攻をすべて受けとめながらも、決して泣き言は(口に出しては)言わなかった。偉いぞ、俺。

 だがもう、限界だ。

「……アメリア」
「はい。どうしたんです、ゼルガディスさん?」
 アメリアの、俺のあごをホールドしている両手がこころもち緩んだ。俺の声音に宿る真剣な響きを、彼女も感じ取ったのだろう。
「……すまん。もう、ギブアップだ」
「ゼルガディスさん……」
 彼女の少し驚いたような声が聞こえた。
 悪いな、アメリア。本当にもう、限界なんだ。これでお前の気が済むのならと、随分がんばったんだがな。確かに昨夜はやりすぎたかもしれん。だが、それも相手がお前だからで、やっぱり俺はお前のこごはぁっ!!!

「ゼルガディスさん、わたしたちは夫婦なんですよ?」
 突然、背骨がかつてない角度で曲げられた。穏やかな声とは裏腹に、彼女の両手はなおも力を増し続ける。
 こ、腰っ、ホントにイカれる。ってゆうか、折れる!

「夫婦の夜は、二人っきりなんです。レフェリーはいないんです」
 ギリギリと腕に力を込めながら、彼女は続ける。俺は自身の背骨が軋む音を、確かに聞いた。

「だからギブアップは受け付けません! 最終奥義、弓のごとく反り返れ、恐怖のカベルナリアっ!!」
 彼女は俺をホールドしたまま、一気に後ろに倒れこんだ。俺の膝から上が浮き上がり、ぐっとしなって悲鳴を上げる。ついさっきまで彼女の尻の乗っていた俺の腰に、今度は立てた膝が当てられる。俺は彼女にあごを掴まれ、強制的にブリッジをさせられる格好になった。
 痛いなんてもんじゃない! 腰、ちぎれる!!

「もう、ゼルガディスさんったら。何言い出すかと思ったら、ギブアップなんて。 でもこれは、あれなんですよね。『嫌よ嫌よも好きのうち』というやつなんですよね。 昨日、ゼルガディスさんがわたしに言った」
 違う。違うぞアメリア!!
「あ、そういえばこうも言ってましたよね。 今日はわたしがゼルガディスさんに言ってあげます」
 もう、何がなんだかわからないが、これだけはわかった。アメリアは本気だ。マジで俺をヤる気だ。

「『夜はまだ始まったばかりだぜ。これからたっぷり楽しませてやるからな』」

 切羽詰った、それでいてどこかくぐもった悲鳴が辺りに響いた。一拍置いてから、喉に走る引きつれるような痛みで、自分が叫んでいることにやっと気付いた。不自然な体勢から放たれた声は長い尾を引き、嫌な余韻を残して消えた。
 しかしアメリアは動じない。
 朦朧とした意識の片隅に、川の向こう岸で、ちぎれんばかりに手を振っている赤いのの映像が浮かんだ。輝くような、満面の笑みで手を振っていた。奴から目を逸らすだけの気力は、もう、俺に残ってはいなかった。

 俺たちの夜は始まったばかりで、夜明けはまだまだ、遠かった。











    おまけ  ──とある衛兵たちの会話より──



「なあ、今の悲鳴ってゼルガディス様の声だよな?」
「ああ」
「そんでもって、さっきからギシギシ……っていうより、ドッタンバッタンって聞こえてくるの、 ゼルガディス様たちの寝室からだよな?」
「ああ、そうらしいな」
「…………」
「…………」
「…………」
「……アメリア様、激しいな」
「……ああ、すっごく激しいな」
「…………」
「…………」
「……婿養子って……大変、なんだな」
「……そうだな……」



 明日の朝、自分たちを取り巻くショッキングピンクの噂話を、若き婿殿はまだ知らない。
 頑張れ、負けるな、ゼルガディス!
 セイルーンの未来は君の腰、もとい、君の肩にかかっている!!!







あとがき





BACK