始まりの時  2






 ゼルガディスは一人、ちびちびと酒を飲んでいた。飲みすぎであることはわかっていたが、それ以外、他にすることが無かったのだ。
 酔った頭の中の比較的冷静な部分が、わざわざ待つことは無いと彼に告げている。しかし腰は重く、椅子に張り付いているかのように持ち上がらない。彼女に謝ろうなどと殊勝なことは思ってないが、とりあえず彼女の顔を見ておきたい。そんなことを考えている自分に、彼は少し戸惑っていた。

 成り行きとはいえ共に旅をすることになった揃いも揃って常識外れの仲間たちを、彼は自分でも驚くほどすんなりと受け入れている。リナとガウリイに関しては、それも理解できる。彼らとは随分大きなヤマを共にした。単に強敵と戦ったということだけでなく、それは彼にとって人生の転機といえるほどの大きな事件だったのだ。
 だがアメリアは違う。
 それなのに出会ってから今まで、そう長い時間ではないが、ごく自然に彼女を受け入れていた自分がいる。何故だ?

 手元のグラスに目をやれば、青い指先が目に入る。丸いガラスの中に、奇妙に引き伸ばされた自分の顔が写っている。一人でいるときは、こんな風にふと目に入ったときに、彼は己の姿を再認識し焦燥感に苛まれる。逆に言えば、己の姿さえ見えなければ、そのことを意識せずに済む。一人のときは。
 彼の世界に他人が介入するとき、彼はその人物の反応を通して己の姿を認識する。それは罵倒の言葉だけでない。ほんの一瞬のこわばった表情、腫れ物に触るかのような態度。そういったものが何よりも雄弁に己の姿を語ってくれる。

 そこまで考えて、ゼルガディスはふっと小さく笑った。なんてことは無い。彼らがそんなことを、全く気にも留めずに自分を受け入れてくれたから、自分も彼らを受け入れることができたのだ。
 特にアメリアは、出会ったときからこちらの容姿を気にかけている様子が、全く見受けられなかった。初めて会った状況が状況だったせいかもしれない。あまりに自然な態度だったため、何も気付かず、意識することも無く仲間になっていたのだ。
 そうしてみると、今日の自分の態度がひどく子供じみているように思えてきた。彼女が王族だというのを聞いて、嘘だと思い込んで奇人扱い。そしてそれが嘘ではない(それでも彼女を常人と形容することはできないが)と知ってからは、その事実そのものに腹を立てた。  それは多分、無意識の内に築いていた仲間意識を壊されたように感じたからだ。彼女は自分が合成獣だという事実など、全く気にしていないのというに、自分は彼女が王族だという事実に、勝手に苛立っていた。本当に子供じみている。

 ゼルガディスは席を立って、酒代の勘定をした。そして外へ出て冷たい夜風を浴び、宿の前の長椅子に座り込んで星を眺めた。山間の村だからだろうか。星はいつもよりずっと大きく、輝いて見えた。



 アメリアが帰ってきたのは、それから間もなくのことだった。時折空を見上げながら歩いていた彼女は、宿の前にいるゼルガディスに気付くと、小走りに近づいてきた。
「ゼルガディスさんっ、どーしたの? こんなところで」
「……遅かったな」
 どうしたもこうしたも無く、ただアメリアの帰りを待っていただけなのだが、彼はそう素直に言えるような性格ではなかった。
「ええ、つい熱が入っちゃって。一朝一夕でどうにかできるものじゃないけど、できる限りのことはしたいもの。お弟子さんも一緒に、すっごく熱心に聞いてくれたのよ。とっても有意義な時間だったわ! ……ゼルガディスさん、もしかしてわたしのこと、待っててくれたの?」
「違う。ただ酔いを醒ましているだけだ」
「あー、そういえばなんか、お酒臭いですよ。飲みすぎはいけませんよ」

 他愛もない会話をしながら、ゼルガディスは、一体自分は何をやっているのかと自問した。なんとなく彼女の帰りを待っていたものの、別に、特に何かしたかった訳ではない。ガウリイの言葉が頭をよぎる。ささくれのような罪悪感は、確かにある。だが、彼がそれを素直に言えるような性格でないことは、前述のとおり。
 うつむいて黙り込んでしまったゼルガディスの隣に、温かな気配が腰を下ろす。顔を上げるとアメリアが、心配そうな表情で彼を見ていた。
「ゼルガディスさん、何か嫌なことでもあったんですか?」

 嫌なこと。彼はまさに今、小さな自己嫌悪に陥っており、そしてその原因は目の前の彼女である。とっさのことで否定の言葉も浮かばず、どう答えたものか考えあぐねているうちに、彼女はなおも心配そうに言い募った。
「やっぱり。何か嫌なことあったんですね。リナにいぢめられたんですか?それともガウリイさんに名前、忘れられちゃったんですか?」
「おい……」
「ガウリイさんはあーゆー人だから、あんまり怒っちゃダメですよ。リナもあーゆー子だから、一々へこんでたら体が持ちませんよ。でもお酒に逃げてはいけません! それをバネにして立ち上がるのですっ! さあ、輝く未来があなたに向かって…」
「人の話を聞け」
 台詞の後半からは、実際に立ち上がって語り始めたアメリアの足を払い、ゼルガディスは言った。勢いがついていたためか、アメリアは頭から派手に転んだ。口上、行動、共に騒がしい奴だと思う。だがその騒がしさは、決して不快ではない。

「もうっ! 何するんですか!」
 地に膝を着いたまま、アメリアは抗議の言葉を上げる。眉を吊り上げこちらを睨んでいるのだが、膨らんだ頬といい尖らせた唇といい、どことなく微笑ましい光景にゼルガディスには見えた。思わず苦笑を漏らすと、彼女はますますむくれ上がった。
 ゼルガディスは笑いながら腰を上げ、アメリアの正面に立ち、視線を同じ高さに合わせるようにしゃがみこんだ。突然目の前に現れた男の顔に、彼女驚いたように抗議を止めたが、まだ警戒の表情を崩さない。ゼルガディスはそんな彼女の顔を覗き込み、口を開いた。
「すまん。俺が悪かった」
 何が、とは言わない。彼はもちろん、先の足払いについて悪かったとは、これっぽっちも思っていない。
 アメリアは目を丸くして、こちらを向いたまま固まっている。その顔がまたおかしくて、彼は笑いながらさらに続けた。
「なんだ? 謝ってるのに許してくれないのか? 正義の使者様は」
「……ゼルガディスさん、酔ってますね。わたしをからかってるんですか?」
「確かに酔ってるかもな。だが、からかってはいない」
「信じられません。誠意が見えません」
「そうか。……俺が悪かった。許してくれ」
 ゼルガディスはしゃがんだまま頭を下げた。それを見たアメリアは零れんばかりに目を見開き、あたふたと手を動かした。
「ゼっ、ゼルガディスさん、どうしちゃったんですか!? 変なものでも食べたんですかっ!?」
 顔を上げると、泣きそうな顔でアメリアがこちらを見ていた。これ以上からかうのも可哀想かと、ゼルガディスは一つ息をはき、そのまま口を開いた。
「きっと酔っているんだろうさ。…………ほら、いつまでそんなところに座り込んでるつもりだ?」
 ゼルガディスは彼女の前に手を差し出した。アメリアは目の前の男の手と顔を交互に見比べ、釈然としないながらもその手を取った。
「……よくわからないけど、とりあえず許してあげます。正義は寛容ですから」
「そいつはどうも」
 自分の手の上の、小さなやわらかい手を握り、身を起こしながら引っ張り上げた。その感触に既視感を感じた。彼はしばし記憶を探り、思い出した。そういえばいつか、こんな風にリナと握手をした。あのときは別れの握手だった。あれは自分の中での、終わりと始まりのための儀式だった。

「ゼルガディスさん?」
 名を呼ばれ、はっと我に返った。アメリアは不思議そうに首を傾げている。自分がまだ彼女の手を握っていることにも、やっと気付いた。
「…………俺は、ゼルガディス=グレイワーズだ」
「は?」
 アメリアは間の抜けた声を上げた。訳がわからないといった顔をしている。
 ゼルガディス自身にだってわからなかった。なぜ自分がこんなことを言い出したのか。だが頭よりも先に、口は動いていた。
「自己紹介だ。これからは共に旅をする仲間、なんだろう?」
「あ……」
 アメリアの目が、みるみる内に丸くなっていく。ゼルガディスは繋いだ手を上に挙げ、口の端を吊り上げた。
「よろしく、な。……アメリア」
 ぽかんと開いていた口がゆっくりと笑みを刻み、見開いていた目が嬉しそうに細められていく。それは夕食のテーブルで見たような、完璧な微笑みではない。内側から溢れる何かを堪え切れず、それに押し流されるように形作られる、喜びの顔。
 ゼルガディスの手に、力強い暖かさが伝わってくる。アメリアはゼルガディスの顔を真っ直ぐ見上げ、大きく口を開き言った。
「ええ! ゼルガディスさん、こちらこそ、よろしくっ!!」
 痛いくらい力を込めて、互いの手を握り締めた。

 冷たく硬い青の手と、暖かく柔らかい小さな手。フードをかぶった合成獣の男と、巫女服に身を包んだ聖王都の王女。ちぐはぐな組み合わせだったが、それをおかしいと思う者は、ここには誰もいなかった。
 ゼルガディスは確かに感じていた。今まさに動き出す、始まりの瞬間を。







あとがき





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